一人では続けられなかった。でも、ここには最後までやり切れる環境があった。

広尾学園高校卒業後、河○塾や寮生活を経験しながら医学部を目指してきた鈴木君。しかし、「授業を受けて帰るだけ」の毎日では、自分を変えることができなかったという。

「ここまでやったなら、医学部を諦めたら一生後悔すると思いました。」

三浪目の春、代官山MEDICALでの一年が始まった。

一人で戦う受験に限界を感じていた

代官山MEDICALへ来る前は、河○塾に通い寮生活を経験していた。しかし、授業は受けても質問へ行くことができず、何を改善すればいいのか分からないまま勉強を続けていたという。

「友達もあまりできなくて、一人で勉強している感じでした。」

母親も、「本人にとっては授業を受けるだけの環境になっていたのだと思います」と振り返る。生活リズムも安定せず、自分で学習を管理する難しさを痛感していた。

距離の近さが、自分を変えてくれた

説明会で最も印象に残ったのは、講師との距離の近さだった。代官山MEDICALでは、同じ講師が継続して学習状況を見守り、模試やマンスリーテストの結果を分析しながら、「何ができていて、何が足りないのか」を一緒に整理してくれた。

「苦手を一から整理してもらえたことが、本当に大きかったです。」

母親も、「本人のことを本当によく見てくれていた」と振り返る。自分一人では気づけなかった課題が明確になり、安心して勉強へ向き合えるようになった。

初めて知った、「みんなで戦う受験」

鈴木君にとって最も印象的だったのは、仲間の存在だった。赤本演習を一緒に行い、分からない問題を教え合う。特に森田君(海城高校卒・東京医科大学進学)は、積極的に声を掛けてくれる存在だった。

「みんなで一つの試験を攻略している感じがありました。」

これまで一人で戦ってきた受験生活が、仲間と支え合いながら戦う受験へと変わった。

 

入試が終わった後、鈴木君は母親へ「受験が楽しかった」と話したという。その言葉を聞き、母親も「そんなふうに思えていたんだ」と驚いた。

毎日通うことが、自信につながった

鈴木君が一年間徹底したのは、「まず代官山MEDICALへ来ること」だった。

朝8時に登校し、昼休みも短時間で食事を済ませて勉強時間を確保する。多少遅れる日があっても、とにかく毎日通い続けた。ランキング制度も大きな刺激になった。

順位が下がる時期もあったが、そのたびに「次は頑張ろう」と気持ちを切り替え、努力を積み重ねた。母親も、「以前とは比べものにならないくらい勉強時間が増えていた」と、その変化を実感していたという。

強制力のある環境が、自分には必要だった

受験を振り返り、鈴木君はこう語る。

「自分から積極的に動けるタイプではないので、強制力のある環境が必要だったと思います。」

授業へ出席し、毎日登校し、講師から与えられた課題を一つずつやり切る。

母親も、「慶門のように、自分で計画を立てたり先生を頼ることが苦手な子には、面倒見の良い環境が必要だった」と振り返る。

 

一人で頑張るのではなく、仲間と講師に支えられながら努力を積み重ねた一年。その環境が鈴木君を変え、日本大学医学部、帝京大学医学部合格という結果へとつながった。その一年が、医学部合格という結果につながっていった。