偏差値45から55へ上がり推薦合格!テストの順位が毎回貼り出される環境が、最後まで頑張らせてくれた。

「代官山MEDICALは、娘を強くしてくれました。親も娘も、一年で変わりました。推薦合格は夢のようで、代官山MEDICALと家族全員で勝ち取った合格でした」と母親は語る。受験は娘一人の努力ではなく、全員で積み上げた一年だったと振り返る。

入塾の決断は「管理してくれる環境」と「寮生活」

田口さんのご両親は、娘が学習計画の立案や自己管理を苦手としていることを理解していた。だからこそ、学習計画をすべて管理してくれる予備校を探していた。父親は、知人の医師の子どもが多数合格していた実績から代官山MEDICALに信頼を寄せ、母親は寮生活や厳しい管理体制が娘に合うと感じた。 「やるべきことが明確に決まっている環境が魅力でした。」と田口さんは振り返る。入塾後は、各教科の先生が進捗を細かく管理し、毎日「何をすべきか」が示された。両親もその変化を感じていた。娘が“やる気を見せるようになった”のが最初の変化だった。家族の方から勉強に対して口出しをする必要はなくなった。 母親は「厳しい環境だけれど、娘のことを教務全員が把握してくれていて、安心して任せられました」と語る。寮母が常駐し、食事の提供やタイムカードによる登校確認もあり、親元を離れても不安はなかった。

決定的な転機は「物理から生物への科目変更」

田口さんが大きく前に進み始めたのは、科目変更を決断した時だった。今まで物理は伸び悩んでいた。学院長の緒方先生は受験相談に来た田口さんに「このままでは来年も苦労する」と判断し、生物に変更することを提案した。その言葉は、迷いのないものだった。 両親はその提案に急速に安心感を覚えた。「親では言えないことを、学院長が言ってくれたと感じました。」即断してくれたことで、今後の勉強に対しての迷いが消えたのだ。

一番辛かったのは「夏」だった

受験直前よりも、夏が精神的に最も苦しかった。目標にしていた「2号館へのクラスアップ」が微妙な状況で、生物の成績も思うように伸びず、中だるみを感じる時期だった。それでも、代官山には明確な仕組みがあった。医学部合格判定模試(マンスリーテスト)によるクラス分け、ウィークリーテスト、学院内での順位掲示。現在地が常に「見える化」されている。 「2号館に上がりたい」という具体的な目標は、前期の学習意欲を牽引した。手の届きそうな目標だったからこそ、毎日の行動につながったのだという。段階的な達成感が積み重なり、成績はゆっくりと、しかし確実に上がっていった。

親の役割は「信じて見守ること」だった

浪人の一年間、田口さんは悩んでいる姿を親に見せなかった。心配をかけたくない一心で、親に対しては「大丈夫」と笑った。母親はその気持ちを受け取っていた。「きっと、弱いところを見せたくなかったんだと思います。」代官山MEDICALに任せたことで、家では勉強の話をする必要がなくなった。親は口出しせず、ただ見守るだけで良かった。 父親は言う。「予備校選びがすべてです。子どものやる気を引き出してくれる場所を選んでほしい。」母親もこう語った。「厳しい環境に一年間任せ、口出しせずに見守ること。そこを乗り越えた子が合格を勝ち取るのだと思います。」

合格は「家族全員の勝利」だった

発表の日、田口さんは泣きながら電話をかけた。母親は勤務先でその連絡を受け、夢のようだと言いながら喜びを噛み締めた。合格後、父親は笑って言った。「受かると思っていたよ。」 厳しい時期もあったが、信じて見守っていたからこそ出た言葉だった。田口さんは語る。 「本当に、代官山MEDICALと家族全員で掴んだ合格だと思います。」

後輩へ

最後に田口さんはこう言った。 「先生を信じていれば大丈夫です。弱点と向き合えば、必ず成績は伸びます。安心して代官山MEDICALで頑張ってほしいです。」