仲間の熱が自分にも「引火」した 闘争心を力に変えてつかんだ医学部合格
高校3年の夏に医学部受験を決意し、一浪を経て代官山MEDICALへ。そこで出会ったのは、互いの点数を競い、「次は勝つ」と言い合える仲間たちだった。一度は大きく崩れながらも、苦手な英語と向き合い医学部合格へ。二浪を通じて松田一真くんがたどり着いたのは、「自信」と「慢心」は違うという答えだった。
一浪を経て、自分に必要な環境が見えた
高校3年の夏まで、松田くんは建築学科への指定校推薦を考えていた。転機は総合学習で、自身も抱える難聴について研究したこと。「自分自身がやりたいのってこれだな」と医学の道を志し、夏から受験勉強を始めたが、現役での合格には届かなかった。一浪目は富○学院へ。「先生たちもすごい良かった」と振り返る一方、松田くん自身は、数か月に一度のテストや結果が返ってくるまでの期間の中で勉強を続けるより、もっと短い間隔で実力を確認できる環境が合っていると感じていた。一浪目の受験では岩手医科大学の1次試験を通過し補欠となり、「これでいける」と慢心したことも反省点となった。二浪目に求めたのは、自分に足りなかった「闘争心」を持てる場所。毎月のテストやランキング、クラス分け、ウィークリーテストを見て、「代官山MEDICALが絶対自分に合ってるなと思って」と入学を決めた。
「次は勝つ」仲間との競争で芽生えた闘争心
入学時はA1。特に中川雄太くん(巣鴨高校卒 東京医科大学進学)とは総合得点がほぼ同じで、「次は勝つわ」と競い合った。「代官山に入ったら俺より地頭いい人とかざらにいるんで、授業で初めて知ったことをファイルにまとめて、覚えたものは消していく方法で復習をしていきましたね」。森田圭亮くん(海城高校卒 東京医科大学進学)や藤森彰仁くん(駿台甲府高校卒 自治医科大学進学)らの存在も刺激になった。「中川達に勝ちたかった」。点数を言い合い、できなかったところを指摘し合う。仲間のモチベーションが自分にも「引火する」ように、競争を楽しめる環境が松田くんの闘争心に火をつけた。
一度崩れても、がむしゃらに英語と向き合った
しかし夏には、勉強への疲れと「ある程度基礎はできてる」という気持ちから一度休んでしまう。そのツケは秋に表れ、マンスリーテストの偏差値は大幅に低下。「実力ってすぐには出なくて、遅れてくるんだなって本当に目に見えて分かった」。クラスも落ち、冬は「メンタルブレブレ」だったという。そこで苦手だった英語を立て直すため、酒井先生のマンツーマンを受講した。読解や単語に取り組みながら、自分でも文法を進める。「効率を求めるよりも物量でカバーしていこうと決めました。実力が出なくてもいいから、まずやることが必要なんだなって思いました」。自分に合う酒井先生と出会い、がむしゃらに英語へ向き合ったことで、再び受験へ向かう軌道に乗った。
競争だけではない、毎週・毎月のテストの意味
ウィークリーテストも、一浪目の経験から松田くんが求めていた環境に合っていた。特定の分野だと分かった状態ではなく、突然出された問題に対応できるか。「実力を試す場所。本番みたいな意識を持つ場所かなって」。さらにマンスリーテストは「本当に医学部形式だった」と振り返る。マークと記述、それぞれの形式で実戦を繰り返した経験は本番にもつながった。「マンスリーとウィークリーのおかげで本番の入試では全く緊張してなかったです」。頻繁に自分の現在地を確認する環境が、松田くんの実戦力を支えた。
自信は持っていい。でも、慢心するな
二浪を通して松田くんが伝えたいのは、「慢心するな」ということだ。「今までやってきたことを自信にするのはいいと思うんですけど、慢心するのは良くない」。また、先生についても「自分の合う先生を見つけて」と話す。「先生たちは本気で、すごい支えられました」。仲間と競い、自分の現在地を何度も突きつけられ、崩れた時には自分に合う先生と立て直す。かつて「闘争心がない」と言われた松田くんは、競争から逃げず、その火を自分の力へと変えて医学部合格をつかんだ。
「俺、医学部行っていいんだ」初めて手にした合格
2月、不安の中で迎えた杏林大学医学部の合格発表。代官山MEDICALを出て散歩しながら結果を見ると、2次正規合格だった。「本当に泣くかなって思うぐらい。泣きはしなかったんですけど、本当に泣きそうになりました」。母に電話すると最初は信じてもらえず、「絶対嘘でしょ」と言われたほどだった。「俺、医学部行っていいんだ、医者になれるんだ」。一つの合格が気持ちを前へ向け、その後も日本大学医学部、愛知医科大学、東北医科薬科大学医学部で2次合格を果たした。