先生と仲間との距離の近さが、自分を変えてくれた一年
目標が定まらなかった現役時代を経て、「浪人は1年まで」という覚悟で代官山MEDICALへ。競争が得意ではなかった三輪くんがあえて競争のある環境を選び、講師や仲間との関わりの中で自分を変えていった一年を振り返る。
「競争心がないからこそ」選んだ代官山MEDICAL
現役時代は医学部志望ではなかった。「やりたいことがわからなくて、とりあえず工学部」という状態で東大を目指していたが、「目標が定まってなくて、やる気もなかった」と振り返る。高校3年の11月頃、医師である両親から医学部進学を勧められ、話し合いの末に方向転換。しかし現役では合格に届かなかった。浪人が決まると複数の予備校・医専を比較し、代官山MEDICALを選んだ。「クラス数が多いのと、科目別でレベルを分ける授業形式に惹かれました」。毎月のランキングにも期待していた。「他人と競い合う気持ちが生まれるかなって思ったんです」。決して競争心が強いタイプではないからこそ、「競争心がないから、逆に競争する場があるところの方が自分にはいい」と考えた。「本当にこの1年がラスト」という覚悟で、自分を変えられる環境へ飛び込んだ。
どんどん質問に行けるようになりました
代官山MEDICALに入って変わったことの一つが、先生との関わり方だった。「自分から積極的に先生へ質問しに行くのがちょっと苦手だったんです」。以前通っていた河○塾では職員室や講師控室へ自分から入ることにハードルを感じていた。しかし代官山MEDICALでは講師がオープンスペースにおり、質問に待つ必要がない。先生の方から「勉強してる?」と声をかけてもらうことも多い。「代官山の雰囲気のおかげで、結構質問に行けるようになりました」。休み時間にも質問を受けている先生がおり、「見かけない日がないくらい」身近な存在だった。復習でも講師を頼った。「テキストやノートを見直す復習がすごく苦手だったんです」。そこで先生から何十枚とプリントをもらい、「プリントを解きながら復習する」方法を続けた。自分に合ったやり方をすぐ相談できる環境が、勉強を続ける支えになった。
「こいつに負けたんだな」が勉強する力になった
入学前に期待していた競争のある環境も、三輪くんを変えていった。ランキングが貼られるとすぐに見に行き、「このくらいの位置だったんだな」「こいつに負けたんだな」と確認していたという。A4の頃は中尾 照輝くん(高崎高校卒・久留米大学医学部進学)と仲が良く、夏以降は森田 圭亮くん(海城高校卒・東京医科大学進学)、木内 優太くん(浦和高校卒・名古屋市立大学医学部進学)、中川 雄太くん(巣鴨高校卒・東京医科大学進学)らを意識するようになった。「負けたくないな、みたいな思いはありました」。直前期には仲間と一緒に過去問にも取り組んだ。特に木内くんとは国公立志望同士で共通テストの問題集を進め、傾向が似ていた名古屋市立大学と福島県立医科大学の物理を交互に解いた。「一人だと途中でだれてくるんですけど、一緒に時間を測って問題を解いていると、途中で抜けられないので最後までやり切る力になりましたね」。
スマートフォンを予備校に預けるルール
教務の先生たちは勉強以外にも踏み込んでくれた。夜更かししてスマートフォンを使う生活をめぐり両親と衝突した時には、緒方先生(学院長・生物科)へ相談。話し合いの末、スマートフォンを預け、代官山MEDICALに来たら受け取るルールを作った。「8時までに来なかったらスマホは預かりっぱなしで、早めに来るみたいなルールでした」。当時は厳しく感じたが、スマートフォンを使う時間は少しずつ減っていった。「振り返ってみると、自分のことを考えてくれて、そこまで踏み込んでくれたのは有り難かったです」。生活面まで含めて合格に必要なことを一緒に考えてくれる。それも三輪くんが一年間で感じた代官山MEDICALの特徴だった。
「先生にいいところを見せよう」という気持ち
福島県立医科大学の合格発表は、昭和医科大学の後期試験の昼休みに確認した。その場で両親へ電話し、福島県立医科大学2次正規合格をつかんだ。三輪くんが代官山MEDICALの強みとして挙げるのは、「先生がすごく親身で、質問もしやすいし、たくさんプリントをくれる」ことだ。講師と親しくなるにつれ、「先生にいいところを見せよう」という気持ちも生まれ、「それもプラスの面に働いたのかな」と振り返る。また、代官山MEDICALを勧めたいのは「自分で考えて勉強するのが苦手な人」だという。「拘束時間が長いのが良かった。21時半までいられたのは良かったかな」。先生に質問し、仲間と競い合い、自分一人では続けにくかった勉強を最後まで続けた。その一年が、福島県立医科大学への合格につながった。