ラグビー部を最後まで貫いた。その努力を支えたのは、互いに高め合える仲間の存在だった。

4月2日18時。聖マリアンナ医科大学からの一本の電話が、大嶋君の人生を大きく変えた。補欠順位は123番。直前まで「さすがに回らないだろう」と思っていたという。

「本当に実感が湧きませんでした。」

浪人も覚悟していた中で届いた合格通知。ラグビー部を高校3年10月まで続けながら積み重ねてきた努力が、最後の最後で実を結んだ瞬間だった。

浪人を覚悟した中で届いた一本の電話

聖マリアンナ医科大学から連絡があったのは、4月2日18時。補欠順位は123番。当時の情報では122番までしか繰り上がっておらず、「もう難しい」と感じていたという。

「絶望していました。」

気持ちはすでに浪人へ切り替わり始めていた。それでも最後まで諦めず待ち続けた先で届いた一本の電話が、3年間の努力を報われるものに変えた。

父への憧れが医学部を目指す原点だった

医師を志したきっかけは、小児科医として働く父親の存在だった。幼い頃から患者に向き合う姿を見て育ち、「自分も父のような小児科医になりたい」と自然に思うようになったという。医師になることを強制されたことはなく、兄や姉もそれぞれ自分の意思で医学部を目指していた。

ラグビー部を続けながら勉強時間を生み出した

高校1年生の頃から、「部活は最後までやり切る」と決めていた大嶋君。高校3年になると授業や受験勉強が本格化し、部活動との両立は想像以上に厳しかった。

「とにかく時間が足りませんでした。」

毎朝5時30分に起き、6時には家を出発。代官山MEDICALで朝学習をしてから学校へ向かう生活を続けた。

「朝の時間しか、自分の勉強時間がありませんでした。」

限られた時間だからこそ、一日一日を大切に積み重ねていった。

仲間との競争が努力を支えてくれた

受験生活を支えてくれたのは、同じ目標を持つ仲間たちだった。山本君、宮田君、山村君――身近に努力を続ける仲間がいたからこそ、自分も負けていられないと思えた。

「あいつらに負けたくないという気持ちがありました。」

一緒に競い合い、励まし合いながら勉強を続ける中で、自然と努力を続けられる環境ができていた。

「もし周りにあの環境がなかったら、自分は絶対に堕落していたと思います。」

受験後も一緒に笑い合える関係を築けたことも、大きな財産になったという。

講師との距離の近さが最後まで支えになった

高1の頃から「英語だけはやっておけ」という姉の助言を守り、文法・単語を早い段階で固め、高3では音読を徹底した。その積み重ねで英語は安定した得点源となり、マンスリーテストでも上位を維持できるようになった。さらに、代官山MEDICALでは講師との距離が近く、落ち込んだ時には励まされ、必要な課題を示してもらえた。

「授業が毎回楽しかったですし、落ち込んだ時には本当に寄り添ってくれました。」

受験経験のなかった自分でも、学習方法から丁寧に導いてくれる環境があったからこそ、最後まで走り抜くことができた。

後輩へ

「受験のやり方が分からない人でも、ここならちゃんと戦えると思います。」

部活動を最後までやり切りながら、限られた時間で努力を積み重ね、仲間と競い合い、講師に支えられて掴んだ医学部合格。一人では続けられなかった努力も、同じ目標へ向かう仲間がいたから最後まで貫くことができた。その積み重ねが、聖マリアンナ医科大学医学部合格という結果へとつながった。